- 2009年4月??日 - 少年の記憶/最初で最後の親友たち

用事が長引いた、申し訳ないけど30分遅れる。
そんなメールの文面と時計とを交互に眺めているうちに、あっという間に空白は終わりを迎えた。きっかり30分でふっと顔を上げれば、予想通り、彼が大学の門から駆け出して来る。……そんなに急がなくていいのに、と思いつつ、迫りくるその姿へと大きく手を振り、自身の存在を知らせる。多くの魔法使いにとって特に忙しい時期である今、会いたいと無理を言ったのはこちらなのだから、遅れた事への文句などあるはずもない。


「コル君、お疲れ様!」

「お疲れ様~、じゃない! 何でこんな寒い場所で待ってるんだ!? 全く……、こんなに冷えて。体調は大丈夫? なんともないの?」

「う、うん。大丈夫」


遅れるって連絡したでしょ、と言いたげな目をしつつも、彼はそれ以上何かを追求したりはしなかった。吐き出す息が薄ら白く滲んで、手元を暖かな魔法が包む。

「……もう春なのに、全然気温上がらないね」

「……ああ、うん。去年なら過ごしやすくなってくる頃だったけど。まだ冬なんじゃないかって思うくらいだ」


軽い会話から、目的地に向かって歩き出す彼の背を追う。いつも通りの歩調に合わせて、もう歩き慣れたレンガを踏みしめ、連なる街灯が落とした影を飛び越えた。
お昼時だけあって、校門周辺でも人の往来はそれなりに激しい。その波を縫うようにして奥の校舎へ向かう最中、人込みに揉まれる見知った顔ぶれの魔法使い数名とすれ違った。……こういう事があるたびに、折角魔法が使えるんだから空を飛べばいいのに、と思うのだけれど。案外彼らは魔法を日常に溶け込ませていない事が多い。ともかく、挨拶のために可能な範囲で頭を下げてから、急ぎ足で大学の中へと向かった。

目的地は食堂だ。今日はそこで、コル君と一緒に昼食を摂って、そのまま少し遠出をする予定になっている。隣町へ行くのは久々なので、この日のことは随分前から楽しみにしていた。

コン、と靴のかかとが音を響かせていく。大理石の床は、いつも通り、複数の声を冷たく跳ね飛ばしている。


「ところで、今日はなんの用事だったの? 検査……ではないよね?」

「うん。先月、班分けが変わっただろ? それ関連でちょっとね」

「……B班になったんだっけ。新しい班の人たちはどんな感じ? やっぱり大人が多いの?」

「そうだな……。1人だけ、小学生くらいの子が居た。けど」

「けど?」

「同じ空間に居る限り、常に話しかけてくるんだよ」


同世代が少ないから、新鮮だったのかも。そう言ったコル君は、微妙な表情で眉間に皺を寄せていた。……大抵の場合、本当に「子ども」と言える年齢の魔法使いは、大学には所属していない事が多い。多くの危険が伴う以上、反対する親の方が多いからだ。
そういった事情がある以上、数少ない同世代の仲間に好意的、を通り越して友好的になるのも、仕方がない事なのかもしれない。


「その子、コル君の事知らなかったの?」

「話くらいは聞いてると思うけど。まさか僕が噂の「不老の魔法使い」だとは思わなかったんだろ。ま、そのうち気づくさ」

「そうなんだ……。その子、僕と同い年くらい?」

「学年は分からないけど、たしかリュカと同じ学校だったと思うよ」

「へー。知ってる子かな……? なんて名前?」

「ハル。ハル・レホス。」

その名前には聞き覚えがあった。
あった、なんてものじゃない。毎日朝礼で聞いている名前だ。同じクラスの、斜め前の席の人。クラスが変わったばかりで早々に人気者となり、初っ端の挨拶で「全員と友だちになりたい」と言い放った、あの。


「……同じクラスだ」

「へえ。そうなの」

「うん。まあ、話した事はないけど……」

「ちょっとも?」

「ちょっとも」


あれだけ積極的に人と交流できるタイプなら、1回くらいは話しかけられているだろうに。と、おそらく思われている。確かにそうだ。話しかけられはした。それを僕がつっぱねっただけで。


「でも、そうだな。リュカからすれば苦手なタイプか、彼は」


苦手、というのは確かにそうだったけれど、それは向こうに非があるわけではない。単に、僕がどうしようもなく人見知りで口下手なのが悪いだけだ。
とはいえ、仲良くなるのは諦めて欲しいというのも、本音ではある。彼と一緒に居たら、全てのエネルギーを吸い取られそうな予感がするし。
そう、無言で肯定しているうちに、食堂は目と鼻の先に迫っていた。


「まあでも。リュカは、案外……こう。積極的に話しかけて来る人の方が仲良くなれると思うけどね。ハル・レホスとだって、話してみたら案外気が合うかもしれないよ」

「そんな事あるかな」

「無いとは限らないだろ。……あ」

「うわ……」


ハル・レホスの姿を目前に認めた途端、反射的に嫌そうな声を零してしまった。おいおい、と横から嗜められて、余計なことを言う前にそっと口を閉じる。

先程までコル君と一緒に、会議だか話し合いだかに出席していた筈の彼は、当然、ここに居たって何もおかしくない。ないけれど。噂をすれば影、というのだろうか。僕は、僅かながらも彼を話題に上げた事を思わず悔やんだ。


「ねえ、コル君。……やっぱり食堂で食べるの、やめない? ほ、ほら。駅前に新しくできたお店とかさ……」

「……折角だし話してみたら?」

「えぇ!? そ、そんな……」


なんて事を言いつつも、彼が無理強いをする気が無いのは知っている。それに甘えて、少しずつ食堂から後ずさっていこうとした。その時。

紫色の瞳が、勢いよくこちらの姿を捉えた。


「あっ!!!! コル君じゃん!! 何してるのー!?」

「声デカ」


思わずといった風に感想を口にしたコル君の背後へ、咄嗟に隠れる。
ああ、最悪だ。全くもって僕とは共通点のない、明るさの塊のような人間と、上手く話せるわけがないのに。可能な限り遠慮したい。そう、ぐっと息を殺して衝撃に耐える準備をする。


「コル君、さっきぶりだね!! もう帰っちゃったかと思ってた!」

「いや、ご飯だけ大学で食べて行こうかと思って」

「そうなんだ。……あれ? え! もしかして、リュカ?」


ご丁寧に僕の方を覗き込んできた彼の視線から逃れるように、コル君の羽織に顔を突っ込む。あー、と背中越しに彼が呆れたような声を出したけれど、気にしている暇も余裕も今は無かった。


「あ、ごめんね、急に名前呼んじゃって! 俺、同じクラスのハルだよ。まだ話した事無かったよね? 俺のこと覚えてる?」


お前みたいな印象に残る人間を覚えていない奴がいるわけないだろ、とは言えないので、辛うじて首を縦に振っておく。


「それにしても、なんで2人が一緒に? 知り合い?」

「友だちだよ」

「へー、そうだったんだ! 待ち合わせしてたんだね。この後どこか遊びにいくの?」

「まあね。隣町までだけど」

「隣町かあ! 隣町と言えばさぁ……」


よくそんなに話す事があるな、といっそ関心する勢いで彼は話し始めた。隣町にすごく大きい雑貨屋さんができたとか、遠くの地区から引っ越して来た魔法使いが店主をやってるらしい、とか。あと、近いうちに大学所属の契約をするとかしないとか。

どこで聞いたのかもよく分からない大量の情報を耳に流し込まれているうちに、じわじわと嫌な予感がして来る。この流れだと、だから一緒に行こうよ! とか、言い出しかねないのでは? そうなればおそらくコル君は断らないだろうけど……。いや、僕が本当に心の底から嫌だと言えば断ってくれる。
とは言え、僕の精神衛生上の都合だけで断るのもなんだか罪悪感がある。きっと、残念だけど仕方ないね、なんてシュンとされるに違いないのだし。ああ、何か奇跡が起こって、だから是非行ってみて! とだけ言って去ってくれないだろうか。でも僕は何かとツイてないから……


「……それでね、すごいんだよ! その雑貨屋さん、二階建てなんだって! 良かったら、一緒に行かない? っていうか、2人に着いて行ってもいい?」


やっぱりね! という思いが顔に出てしまったけれど、頭から肩にかけて羽織に埋もれているので全く問題はない。


「まあ、僕は構わないけど。リュカは?」

「……コル君がいいなら、いいけど……」


予想通りの流れに内心ため息に塗れながらも、辛うじて返答を返す。すると、やったー! と大声で叫んだ彼は、恐ろしい事に僕の顔を覆い隠す布切れをペラリと持ち上げて、ずっと君と話したかったんだ、なんて寒気のするセリフをにこにこと告げた。
どういうわけだか彼の中では、僕らと昼食も共にする、という認識になっているらしい。
そうですか……、と言う間もなく、僕たちを先導するような背中が小さな歩幅で駆けて行った。


「…………ごめん、勝手に了承しちゃって。今からでも断って来ようか」

「ううん! ……大丈夫。分かってるんだ。人と話すことにもちょっとずつ慣れないと、って。うん。だからこれは、練習の機会だと思うことにする」

「ご飯はどうする?」

「代わりに買って来てくれる? ちょっと、頑張って、喋ってみる」

「分かった。いつものでいいの?」

「うん」


手短に会話を済ませて、ハル・レホスの背を追う。

話したかった、とか何とか言っていたが、僕たちの共通点なんて年齢くらいなものだ。インドアの僕とアウトドアな彼。人見知りの僕と人気者の彼。ネガティブな僕とポジティブな彼……。趣味にも似通う部分は皆無だった筈だけれど。


「あれ? コル君は?」

「ご飯を……、買いに行きました」

「あはは。何で敬語なのさ」

「だ、だって……。友達でもないし」


ふーん、でも、これから友達になるでしょ? なんて、どうしてそこまで真っ直ぐ言えるのだろうか。僕なんかが、他人と上手くやれる筈はないのに。


「そ……ですか……」

「僕はね、さっきもう買って来たんだ。食堂で1番のお気に入りでさ。色々迷っても、結局いつも同じの頼んじゃうんだよねー。……あ、そうだ! そういえば、リュカに聞きたい事があるんだけど」

「な、なに……ですか」


なんだろう。仲良くしてやるって言ってんのに何ビクビクしてんだ、とか? あるいは、この前学校で挨拶を返した時の声量が小さすぎて、返してないと勘違いされているとか。
そんなマイナスすぎる僕の予想を振り払うように、彼は明るく切り出した。


「ほら、学校でさ、リュカがいつも読んでる本あるじゃん? あれってどんな本なの?」

「え? あ、あれは……。……強いて言うなら、ファンタジー、かな」

「ファンタジー、って事は、ドラゴンと戦ったりするの?」

「ドラゴン、は出てこないけど……。魔法使いの子ども達が事件を解決していく話で」


あの本は傑作だ。けれど、それについて僕が話しているのを聞いて、何か楽しい事があるのだろうか。


「へぇ! 面白そうだね。その物語の中に出てくる魔法は、この世界の魔法とは違うものなの?」

「うん。この世界の魔法とはまた違った仕組み。呪文や杖を使うんだけど、その描写がとても華やかで、好きなん……です」

「そうなんだ。いや、いつも熱心に読んでるからさ。どんなに面白い本なんだろう、って気になってたんだぁ」


やっぱり本には詳しくないか、と少しだけ残念に思う。
別に、読書仲間が出来るかもと期待していたわけではない。断じて。


「……面白い……ですよ。……ほら、この前、授業中に読んだ本が、あるじゃないですか? あの本と同じ作者さんが書いてる、シリーズものなんです、よ」

「そうなの!? 全然気づかなかったな。あ、でも、あの人の本なら俺も読んだことあるよ。『空似の後悔』って言うタイトルの……知ってる?」

「知ってるも何も! あれは名作だよ!」

「そうなの?」

「リュカが本を好きになったきっかけの一冊だね」


話の腰を折ってごめん、と言いつつ、コル君が僕の隣に座る。途端に、少しばかりの勇気が背中を後押しした。見知った人が近くに居てくれるだけでも、心はかなり安定するのだ。


「何だっけ。『空似の後悔』の話?」

「う、うん」

「リュカは、その本を書いた人が好きなの?」

「まあ……」


好きなんてものではない。推しだ。そう思いつつ、コル君から食事を受け取る。
ハル・レホスと同じく、僕もいつも通りのメニューだ。パンとハンバーグと、小さいサラダとポタージュがセットになった、一番お気に入りの組み合わせ。
残念ながら量が多すぎて、1人では完食が難しく、パンとハンバーグは少しだけコル君に手伝って貰う必要があるのだけれど。


「その作者さんって、どんな人なの?」

「シャルル・ウェスターだよ。……彼は本当にすごいんだ、です。」

「なんで敬語?」


コル君の的確なツッコミが僕にクリーンヒットする。
それとも、そこまで怯える事は無いだろう、と遠回しに言ってくれているのだろうか。


「だ、だって……」

「まあ、いつも通りに。楽に話したら」

「分かったよ……。……だから、その。シャルル・ウェスターは……小学生の頃に作家デビューしたんだけど、それ以来素晴らしい作品を世に送り出し続けてるんだ。まあ、そのことはあまりにも有名すぎるくらいだけど……。例えば『空似の後悔』は彼のデビュー作なんだけど……。初期の作品はどちらかと言えば物悲しい雰囲気の話が多くて。だからこそ、誰も小学生が書いたなんて予想もしなかったくらい……。だけど、彼に弟が出来てからは、明るくて楽しい話を書く事も多くなったんだよ。でもそれってすごく最近の話でね。二年前くらいだったかなぁ。ともかく、僕の愛読書であるシリーズものの作品はその1つなんだ。つまり、未来の弟さんのために書いた物語なんだよね。今はまだ本を読める年齢じゃ無いからさ。……ともかく、どんな物語だって、彼が書くものなら僕は全部好きなんだ。憧れて、色々書いてみたことがあるくらい、で……」


ふ、と正気に戻ると、一気に冷や汗が吹き出したかのような錯覚に陥る。いくらなんでも話し過ぎた、というか語り過ぎた。少し前の彼に向かって「よくそんなに話す事があるな」と思ったのは一体どこの誰だったのか。
自己嫌悪で突然黙り込んだ僕を気にするでもなく、ハル・レホスは、そんな裏話があったのかー、なんて呑気に相槌を打っている。


「それにしても、小説を書けるなんてすごいね! 小説家を目指してるの?」


突然の質問に、は、と気の抜けた呼吸だけが飛び出し……。コル君がそっと背中を叩いてくれて、ようやく言葉が音を得る。


「い、いいや。僕のは完全に趣味だけど。なんで?」

「小説家を目指して書いてるんだったら、読ませてくれたりしないかな~と思って。でも趣味なら人には見せたくないよね?」


ごめん、聞いてみただけだよ、と彼は肩を竦めた。間違いなく気を使わせているが、読ませたく無いのは事実だったので、ゆるやかに頷く。


「それは…、うん。そもそも、自分の書いたものを人が読むなんて……。恐ろしいじゃないか。小説家になりたいと思った事は無いけど、どちらにせよ、僕には無理な仕事だな……」

「そっかぁ。それにしたって、本当にシャルル・ウェスターが大好きなんだね! 俺、本はあんまり読まないし、そこまで没頭できる趣味もないから。羨ましいなぁ」


心の底から羨ましがるような声。驚いて初めて目と目を合わせると、彼は誤魔化すように笑って、千切りもせずにパンを齧った。
……底の無い紫色だ。随分前に、コル君に見せてもらった、揺蕩う星空の明るい部分に似ている。だけど、彼の瞳は暗く沈んでいて……窓の外を眺める視線は、どことなく空っぽだった。

僕は、勤めて、今まで通りの声で問いかける。


「……無いの? 趣味」

「うーん。これと言えるようなものは無いかなぁ」

「体育の時、誰よりも楽しそうだから、スポーツとかが趣味なのかと思ってた」

「走るのは好きだよ? でも別に、趣味、ってほどじゃ無いと思う」

「へえ……」


彼のような人は、1日の24時間に詰め切っても余るくらい、趣味が多いものだと勝手に思っていたのだけれど。想定外にも無趣味だったらしい。

無趣味といえば、コル君もそうだ。取り立てて何か好きなことがある、という印象は無いけれど……と、そっと横を盗み見ると、彼も不思議そうにこちらを見返して来た。


「コル君は、何か趣味とかある?」

「え? 趣味? ……夜ふかし」

「夜ふかしは趣味って言わないよ……」

「いや、でもさ。昼間忙しくしてると、夜にしか自由時間が存在しないだろ。そうなると、……寝るなんて勿体無いと思わない?」

「それでもちゃんと寝た方がいいって。夜更かししてたら大きくなれないよ」

「僕はこれ以上大きくならないけど」

「もー」


いつも通りのやりとりに、少し調子が戻ってくる。無意識のうちに体全体を覆っていた意味のない警戒心が消えて、強張りも解けたような気がしたのだ。

話してばかりで食が進まない僕らとは裏腹に、目前の彼は既に自分の昼食を全て胃の中に収めたらしい。フォークを置いたかと思うと、こちらを見て、面白そうにからりと笑った。


「漫才コンビみたい」

「何が?」

「いやあ、仲良しだなと思って。ところで、2人はいつ知り合ったの?」

「え? 初めて会ったのはリュカが7歳の時だから……、何年前だっけ、確かあの日は」

「そ、その話は無し! っていうか、隣町に行くなら早くご飯食べちゃおうよ。帰りが遅くなっちゃう」

「はいはい。……あれ。ハルはもう食べ終わってるの」

「今気づいたの……?」

「あはは!」


僕らが来る前から食べ始めていたのだから、彼が先に食べ終わるのも当然と言えば当然だ。
のんびり食べていいよ、なんて言葉は無視する事にする。
そうして僕は、さっさと食べ終えてしまおうと、切り分けたハンバーグにフォークを突き立てたのだった。