? 2幻影通りの
早朝。寝ぼけ眼をこすりつつ、大学図書館の扉を開く。勢いよく飛んできた挨拶に返答を返して、俺はカバンから名札を取り出した。
魔法大学ことオルタヴォルタ大学には、一般開放されている巨大な図書館が存在する。館内には、図書室と三つの書庫に加え、幾つかの教室や自習室等も収められている、自分にとっては在籍校兼バイト先にあたる場所だ。
整った設備と立地の関係もあって、平日でも利用者は多い。ところが俺は、何をするでもなく、ほどよい気温の保たれた受付の内側に座っている。……やることがないからだ。手持無沙汰になって、無料配布の栞作りに励んでみるが、それもすぐに出来上がってしまう。ぼんやりと、室内の顔ぶれが目まぐるしく変わって行く様を眺めて、俺は時計を横目で見た。普段なら、忙しく配架作業を行っている時間帯だ。しかし、前日のポスト返却分はとうに片付け終わっている。やっぱり、少なくとも今現在は―誰かが受付を訪れない限り―やることがない。と、眠気を振り払うように目を見開いているうちに、背後からぽん、と肩を叩かれた。
「レヴィア君」
聞き慣れた声で苗字を呼ばれ、くるりと振り返る。思った通り、そこには同僚のエマ・ホークスさんが立っていて、ジトリとこちらを見下ろしていた。
濃紺の長髪が特徴的な彼女は、常に動き回っているような、ワーカホリックと表現して差し支えないような人だ。なんでも、働く事自体が好きらしく、空き時間を作らない勢いで本業や副業に勤しみ続けているのだとか。
実を言うと、彼女と俺は同じ班に所属している「魔法使いの同僚」でもあるので、全く知らぬ仲でもないのだが。エマさんが「異世界専門の旅行会社」に勤務する限られた存在であるために、実際に顔を合わせた回数自体はそう多くない。図書館のバイトにしてもそうだ。短時間で膨大な仕事量を適切に片付け去っていくその様を見て、「エマさんって、まるで妖精さん……ブラウニーみたいだよね」と、そう表現したのは誰だったか。
「……ハイネ・レヴィア君、だよな? ……すまない! まさかとは思うが、名前を間違えているだろうか……?」
「あ、いえ。合ってます。すみません。何でしょう?」
思わず彼方に飛ばしていた思考を呼び戻し返事をすると、彼女は僅かに目元を和らげ話し始めた。曰く、「第三書庫にある書籍を取りに行って貰いたい」らしい。
「先ほど貸出予約が入ってな。私が行っても良かったんだが……。もうそろそろ出ないと、次の仕事に間に合わないんだ。申し訳ないが、頼めるだろうか」
「分かりました」
第三書庫の場所を正確に把握している学生バイトは少ない。故に、俺に白羽の矢が立ったのも当然と言えるだろう。どうせやることもなく退屈していたし、眠気覚ましの散歩には丁度いいのだが……。久々に向かうので無事辿り着けるかは半々だ。まあ歩くうちに思い出すだろう、と立ち上がる。右隣で舟を漕いでいたもう一人の受付担当を叩き起こしてから、俺はその場を離れた。
受付から歩き出し、図書室内をぐんぐん通り過ぎて行く。学生や親子連れ、サラリーマンなどの姿を横目に、端から端へ。行きついた先には、真っ白な壁と、真っ白な扉がある。第一書庫、と記されたその扉を開き、俺はそっと中を覗き込んだ。いつも通り、重々しいほどの静けさに浮かんだ空間に、これまたいつも通りの顔ぶれが並び立ち、淡々と本を読んでいた。
この場所「第一書庫」は、一般開放されていない部屋のうちの一つである。……というより、館内で一般開放されているのは図書室だけなので、他の空間―書庫と自習室や教室については―在学生や教職員だけが自由に出入り出来る場所となっている。
とは言え、全部で三つある書庫のうち、学校関係者に解放されているのはこの第一書庫のみだ。
第一書庫を通過し、反対の扉から外に出ると、軽くなった空気に肩の荷が降りた。……静かすぎる空間は苦手だ。正直に言うと迂回したかったが、あそこを通過しないルートで目的地に辿り着く自信は皆無だった。何せ、本日の目的地こと第三書庫は……、とにかく図書室から遠いのだ。「それじゃあ第二書庫はどこにあるのか?」と言うと、すぐそこの階段から降りた先、つまり地下一帯に広がっている。集密書架によりギッシリと本が収納されているそこは、司書だけが立ち入り可能な場所だ。
対して、今から向かう第三書庫は、ひどくこざっぱりとしている。保管されている本はごく少数で、比較的管理も緩い。と言うのも、第三書庫は、「図書館の改修前まではメインで使われていた」旧第一書庫であって、今や、辛うじて残っているに過ぎない程度の場所となっているからだ。中を片付けて教室に作り替えよう、なんて声が上がった事もあるらしい。が、如何せん、ここにたどり着くまでの道のりは非常にややこしい。しかも暗い。つまり教室向きの場所ではない。故に、おそらく一生このままだろう。
ちなみに、第三書庫に通ずる廊下はあまりにも見つけづらいので、学生達はこの通路を「存在しない「幻影通り」」と呼んでいたりもする。言い得て妙だ。
長々とした「幻影通り」を超えて、突き当たり。古めかしい扉の、若干取れそうな気配すら感じるドアノブに手をかける。岩のように固い鍵をなんとか回し切れば、ギギギ、と乾涸びたような音に迎えられた。
第三書庫の内側にあるのは、殆どが「異世界」から運び込まれた書籍たちだ。これらは当然、「異世界」の言葉で書かれた「異世界」についての情報や物語なので、借り手はそう多くもない。それこそ、年に1~2回誰かが借りて行く程度だ。今回はそのうちの1回、というわけである。
指定された本のタイトルを思い浮かべつつ視線を動かしていると、ふと、視界の端に、ひょこひょこと動き回る何かがあるのに気づいて、棚の裏を覗き込む。第三書庫の一角。ほぼ死角になっている位置に、その姿はあった。
俺の友人であり、同じ班の魔法使いでもある少年の姿だ。
「コルじゃん」
「あ、ハイネ! どうしてここに? バイト?」
「ああ。そっちは……、相変わらず忙しそうだな。おばけ書店の店員さん」
「……その呼び方はやめてったら」
やや辟易とした顔で俺を眺めるコルの顔は少し面白い。確かに、彼からすれば何とも言えない心持ちだろうが、俺からしてみれば、「おばけ書店の店員」というのは、彼が持つ立派な称号のうちの一つだった。
友人のシャルル・ウェスターから聞いた話によれば、それは1年前のこと。
当時から第三書庫に入り浸っていたコルは、その日も1人で任務の報告書を作っていた。ところが、誰も訪れないはずのその場所へ、突然、小さな子どもが迷い込んできたのだ。
その子は言った。「お兄ちゃんがね、幻影通りっていうところがあるって言ってたの。そこに行けばおばけさんに会えるって。だから、それを探してたら迷子になっちゃった……」と。
そう語る様子があまりにも悲しそうで、残念そうだったので―そしてこの付近が「幻影通り」と呼ばれていること自体は事実だったので―コルは色々と口から出まかせを言って、その子を励まし、兄の元へ送り届けてあげたらしい。
……その結果生まれたのが、「幻影通りのおばけ書店」という噂話だ。
人間という生き物は、年齢に関わらず、自分だけの冒険譚を誰かに話して回りたいものである。コルに出会った男の子も例に漏れず、「特別な本屋さんに迷い込んだ自分」の話を、それはそれは多くの友達に話して回ったらしい。そうして、ごくごく小さなコミュニティの範疇……いうなれば1つのクラスの内側でだけ、「おばけ書店」の噂話は面白おかしく広まっていった。
勿論、それだけならば何も問題はなかっただろう。迷子、という怖い経験を、冒険譚というワクワクで多い隠す事ができたのなら。そしてその物語を、子どもたちが楽しんでくれただけならば、この話はここでおしまいだった。
ところが、俺の友人であり、コルの友人でもある「シャルル・ウェスター」という名の有名作家は、この一連の流れを相当愉快に思ったらしく、幾何もしないうちに「おばけ書店」を題材とした一冊を仕上げてしまったのである。当然だが出版もした。
つまり、そういう事だった。結局の所、本格的に「おばけ書店」の噂が広まったのは出版後の話であって、言い換えれば元凶はシャルル・ウェスターの書き上げた児童書である。コルの事はあくまで些細なきっかけに過ぎず、シャルル・ウェスター作品の読者である子ども達は、その三分の一が実話で出来ている事など微塵も知りはしないのだ。
ことの経緯について聞いた日、コルはこう言っていた。「この人、僕のところに迷い込んできた子を実際に探し出して、本の題材にする許可まで貰ってきたって言うんだもん。断れないでしょ」と。それに対して、シャルルは笑うでも謝るでもなく、真剣な表情で問題の小説を取り出したかと思うと、こう言い放った。「ところで、ずっと提案しようと思っていたのだけれど。……このお話をもとにして、配信とやらで企画をするのはどうだい」と。
「それで……。その後どうなったんだっけ? 結局押し通されたのか?」
「押し通されたよ、結局」
「あーあー……」
「セリフを考えるのも、録音するのも、動画を編集するのも……、僕なんだけどね」
「……確かに、口から出まかせが元になった小説を改めて演じるのは、少し気恥ずかしいかもなあ」
「当たり前でしょ」
とは言え、シャルル・ウェスターが自らの好奇心に従順な人物である事は、今に始まった話ではない。そもそもコルは「シャルル・ウェスター」という「作家」に、「異世界に向けて配信をしている」という事実を伝えるべきではなかったし、配信上で何か企画を行いたい、というお悩み相談を彼に持ちかけるべきでもなかったと思う。全ては後の祭りだが。
今回は企画として成立する内容を提案してきたので、まあいいとしても。彼の考えは全く持って予測不可能だ。今後無理難題な提案が持ち込まれる可能性もゼロではない。
「僕の発信力じゃ人を集めるのが難しいから、成り立たないと思うけど……って、一応、説明はしたんだけど」
「まあ、ダメならダメで、また考えればいいだろ。……何だっけ、配信とか、動画とか? 必要だったら出てもいいよ、俺」
「え、本当! それは……ダメそうじゃなくても出てほしいけど」
「あはは。いーよ」
「うーん、じゃあ、何にしようかなあ……」
メモ帳に予定を書き込んでいくコルを見て、なんだ、案外楽しんでるんじゃないか、と安堵する。いつだったか、ハウエルズさんが「息抜きになればいいと思って勧めたけど、異世界への発信なんて、負担だったかもしれない」と頭を抱えていたこともあったが、何という事はない。問題無さそうだ。
……まあ、ハウエルズさんのあれは、ネガティブ思考になりがちな彼の通常運転に過ぎないと言えば、そうなのだけれど。
https://youtu.be/LE26Ktv8eVY
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